内閣府は、40歳から64歳の中高年者のひきこもりに関する調査を実施し、推計61万3千人の方がひきこもっていることを報告しました。
私たち若者協同実践全国フォーラム(JYC)は、この事実を重く受け止めています。
多様な課題に対応できないシステム
ひきこもりが深刻化してきた1990年代に学校から社会への移行期であった人たちは、20年が経過した今、40代から50代にあります。1990年代初期のひきこもり支援は、今日のように多様な課題に対処するシステムとして整備されていませんでした。
地域でひきこもりの課題が深刻化し「『ひきこもり』対応ガイドライン(最終版)」が初めて出されたのは2003年です。このガイドラインのサブタイトルは「精神保健福祉センター・保健所・市町村でどのように対応するか・援助するか」となっています。このガイドラインは、当時、明瞭な精神疾患をもたないが社会参加が困難な人たちの支援に困惑していた地域精神保健分野が依拠するものとなりました。しかし、それ以降も、多くの自治体では、ひきこもりに対処する部署が確定されず、福祉・保健・教育等々の分野がその対応を譲り合う状況がありました。
十分な「支援」を受けられなかった
2000年代初期には、各地で、ひきこもり支援を行う熱心な実践者がNPO法人等の法人を結成し、その実践を重ねてきました。しかし、一方で、2001年以降の「小泉改革」に代弁される「小さな政府」政策の下で、低福祉低負担、自己責任をベースとした市場原理主義が進み「ひきこもり産業」と称される状況が生じたり、2000年に精神保健福祉法第34条(移送制度)が施行され、ひきこもり当事者の権利侵害が目にあまる状況になってきました。
こうしたひきこもり支援や制度が不十分な時期(もちろん、今日も十分だとは言えませんが)にひきこもり始めた人たちは、移行期に社会参加の為に十分な機会や支援を与えられてこなかったのです。そればかりか、2000年代初期には、社会保安処分としてのひきこもり「支援」の下で「危険な若者」や「危険なひきこもり者」としての管理が進んだのです。
今、中高年のひきこもりが、新しい問題であるかのように取り上げられていますが、それは、ひきこもり者を社会的に管理する動きや「小さな政府」の下での自己責任追及のなかで生じた結果として問わなければなりません。
社会的排除・孤立の問題として捉える
さらに、非正規化が進み、安定した仕事と将来の見通しを奪われてきた若者たちが、40歳を過ぎて徐々に直面するのが親の介護の問題です。非正規就労の下では、介護休暇などのあたりまえの権利が十分に保障されていないことがほとんどです。親が介護状態となった時に、長期の休みをとることは、その仕事を離れることを意味しています。それは、仕事から排除され、さらに他の人と交流する機会からも排除されることになりかねないのです。こうして40歳を過ぎてから「介護」の為に社会との関係を断ち、ひきこもらざる得ない人もあるのです。「小さな政府」の下で、福祉は削られ、蓄えの少ない高齢者や長期に正規雇用の機会に恵まれなかった人や障害者は、競争社会の下で社会から排除されかねないのです。
JYCは、ひきこもりは、「若者のひきこもり」「中高年のひきこもり」と区別し捉えるのではなく、今日の社会がもたらす社会的排除・孤立の問題として捉える必要があると考えています。それは、「自己責任」が徹底される新自由主義社会において、競争の敗者となりかねない「若者」「障害者」「女性」「非正規労働者」等々に共通して襲いかかる問題です。この社会的排除・孤立と向き合う社会づくりこそが今求められているのではないでしょうか。
どう生きるか
私たちは、住み良い社会を創り上げる主体を育てる必要性を訴えてきました。若者支援の現場は、若者たちが今後の社会を担う主体者として育ち、社会的な関係の中で暮らし続ける為の支援を追求してきました。その為には、競争主義的な教育の下で育ってきた若者たちが主体者となる為に「どう生きるか」を問う実践が求められています。生き方を問うことは、「どう働くか」「どうくらすか」「どう学ぶか」「どんな関係を結ぶか」という問いです。これは、もちろん、若者のみに必要なことではありません。今こそ、私たちは、社会的排除・孤立と向き合い、社会の中で誰もが安心して豊かな人生を全うするための、実践・制度・政策・運動を追求する必要があります。
2019年4月5日
若者協同実践全国フォーラム(JYCフォーラム)