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川崎殺傷事件の報道についての声明文

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2019年6月3日
若者協同実践全国フォーラム(JYCフォーラム)

被害に遭われたみなさまへ

今回の川崎市多摩区登戸新町の路上における殺傷事件で小学生の栗林華子さんと、公務員の小山智史さんが大切な命を落とされました。お二人は、光り輝く未来を奪われてしまいました。大切な家族を奪われたご遺族は、すぐそばにいる娘や夫、父を失ってしまい、心に大きな傷を残したことでしょう。心から哀悼の意を表します。また、多くの被害者は、自分も命を落としてしまうのではないかとの恐怖のもとにおかれたことでしょう。その方々も、心に大きな傷を残していることだと思います。人の命を奪う行為に関しては、いかなる障害をもっていても、本来であれば、その加害者が適正な裁判を受け厳罰をうけるべきです。今回は、容疑者が自殺し、その裁判で、なぜ自分の家族の命が奪われたのかが明らかにされる機会が与えられないのです。

メディアのみなさまへ

突然の深い悲しみや恐怖に出会われたみなさまは、その事実と向き合うことで精一杯な状況があります。その時、みなさまが、ご遺族や被害者を訪問し、現状をお見舞いしたい気持ちは十分に理解できます。しかし、みなさまの訪問や取材が、ご遺族や被害者の心をさらに深く傷つけることがあります。また、みなさまの報道で、ひきこもる人を家族に抱える者は、怯えに近い心情に陥れられている状況があります。ひきこもる人を、社会の害悪のように報道するメディアや、ひきこもる人が何もおこさないようにできるだけ管理しなければならないといった報道は、ひきこもる人やその家族の社会的な孤立をより深めます。メディアのみなさま、みなさまと私たちは、ともに社会の安寧を求めているのではないでしょうか。どうか、ご理解下さい。

ひきこもる人たちもまた、社会の一員です

私たちJYCフォーラムは、社会から排除され孤立状態に置かれた若者であっても、社会に参加することが可能となる実践・法・制度・政策を求めて実践交流や研究・運動を行なっています。今回、重罪を犯した容疑者は、「ひきこもっていた」という報道があります。しかし、それらはあくまで家族や支援機関による見立てに過ぎず、本当にひきこもり状態であったかどうかというのは、当事者が既に死去してしまった現時点では確かめようがないことです。にもかかわらず、「無業状態であった」「相談をしていた」ということだけで「ひきこもり(傾向)」としてしまうことは、当事者の意向を無視した危ういスタンスであると感じています。

もとより、ひきこもり状態にあることと、今回の犯罪における因果関係にはまったく根拠がありませんし、それらを結びつけること自体の問題性があります。さまざまな個性や属性を持つ個々人に対し、その一端のみを取り上げ事件との関連を想起させてしまうような扱いは、同じ属性を持ちつつも犯罪には至っていない圧倒的多数の人びとに対する誤解や偏見を助長してしまいます。

2000年代にも、同様の事件とひきこもり状態とが過度に結び付けられ、偏見が助長されてしまった事態が生じていましたが、同じ過ちを再び繰り返してしまわないためにも、慎重な対応を心がけていただきたいと思っています。

ひきこもり問題をつくりだしているもの

「ひきこもり問題」というのは、ひきこもっていることそれ自体が「問題」なのではなく、人びとを排除し孤立させてしまう社会状況の問題であり、その状態に陥ってしまうことで自分や周囲から自己の存在が否定され、苦しめられてしまうという問題です。とりわけ後者に連なる「生きづらさ」の問題は、メディアをはじめとする周囲の人びとのまなざし・規範によりもたらされています。

今回の事件をめぐる報道で、「ひきこもり傾向にあった」という部分が過度に強調されてしまうことは、既に世間に広まっているひきこもり状態にある人に対する誤った認識や偏見をいっそう助長させるものとなってしまいます。

既に何人かの家族・当事者の方から、これまで以上に追い込まれてしまうのではないかという不安の声が多数寄せられています。

人権無視の「暴力的支援」の助長

こうした報道とそれによる差別・偏見が広がっていくと、「治安維持」の名の下に、当事者の権利を無視した対応が広がってしまいかねない不安があります。既にネットでは、「死ぬなら一人で死ね」「「偏見」もって警戒する」などの暴力的な意見も散見されますが、こうした言説は問題の解決に寄与しないばかりか、当事者・家族・関係者をいっそう追い込み、事態を深刻化させてしまうことにつながっていきます。

ひきこもり問題に対し、「無理やりにでもひきこもり者を自宅から引き出し『矯正』させるべきだ」、「支援機関が生易しいことをしていたのではないか」といったメッセージが投げかけられがちですが、そういった言説に支えられることで、当事者の意向を無視した人権侵害の「引き出し業者」や、暴力的な手段を用いた自称「支援団体」も暗躍しています。

今回の事件を契機として、こうした人権侵害や暴力がいっそう広まってしまわないよう、くれぐれも注意を促したいと思います。

社会全体の課題として

では、こうしたひきこもり問題は、どうして生じるのでしょうか。ひきこもりは、1990年代より社会問題化してきました。この当時、20代だった人たちは、1970年代に生まれ育ってきたのです。その当時、日本の教育を競争主義が支配し始めていました。この当時20代だった人は今、40代から50代です。今回の容疑者もその一人と言えます。1990年代に20代だった人たちは、バブルが崩壊し景気が急速に崩壊した時期から、日本が1990年代後半から就職氷河期に突入する時期に社会に参加しました。なかなか就職がなく、非正規やアルバイト等が多くなった時期に彼らは社会に出たのです。2000年代にはニートやひきこもりという言葉が多く語られるようになりました。

こうした社会全体の変容に伴い、その結果生じてきたのが「ひきこもり問題」であり、ひきこもる人たち自身へのアプローチだけでなく、社会そのもののあり方へと目を向けていかなければ、「問題」の解決には至りません。

私たちは、「若者協同実践」という実践概念を掲げ、誰をも排除しない社会づくりへの挑戦を支え、広めてきました。今回の場合は、容疑者が中学校を卒業してから、ほとんど地域での他者との繋がりをもっていなかったと言われており、他者・社会から排除されていた様子がうかがえます。私たちは、こうした社会の諸関係から排除されている人たちが、仲間や家族と出会うことが可能となる装置をつくる必要があります。そのために取り組まれている全国各地の実践的挑戦を支え、広めていくことが不可欠です。

さいごに

私たちJYCフォーラムは、今回の容疑者を決して許すものではありません。どんなに息詰まる思いをしていても、どんなに生きづらくとも、人を殺していい筈がありません。このような事象が生じると、「追い詰められた挙句にひきこもらざるをえなっかた」ひきこもる人に対する歪んだ認識を生み出し、当事者を抱え苦しんでいるご家族やひきこもる人たちを苦しめ、多くの当事者の社会参加に支障が生じかねないことを危惧します。こうした事象が生じない為にも、当事者・家族・地域住民・実践者が共に努力し、ひきこもる人の生存と発達の権利を保障する実践や運動を展開しましょう。

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